東京に上京してから、僕の近くには常に地元の大親友がいました。
彼は大手企業に勤め、社会人になってからさらに留学するような、すごい男でした。貧乏クリエイターだった僕とは、何もかも違ったけれど、なぜか昔から馬が合っていて、ライブに行ったり、安居酒屋で朝まで飲んだり、どんな時も自然に隣にいる存在でした。
彼は社会問題や世界の課題に強い関心を持ち、僕は映画や音楽、サブカルチャーに惹かれていた。 興味の対象は違ったけれど、どこか根っこの部分では同じものを見ていたので、お互いの知っていることの違いも楽しめた気がします。
そんな彼が、イギリス留学から帰ってきたとき、隣には、メキシコ人の婚約者がいました。
ふたりは僕の近所に引っ越してきて、自然と、3人で会うことも増えました。彼女にとって、日本はとても生きにくい国だったと思います。そんな不安定な状況もあってか、彼女は一緒の予定をすぐに変えたり、気まぐれな行動を取ったり、正直文化の違いでぶつかることもありました。僕も親友も、彼女をうまく受け止めきれないことがあって、戸惑った日もありました。
だけど、ある日。彼女が僕をふたりの家に招いてくれて、手作りのタコスをふるまってくれたのです。その一口で、僕は世界がひっくり返るような感覚を覚えました。温かくて、香ばしくて、豊かで、心からおいしいと感じられる味。「タコスって、こんなにおいしいんだ」と、 衝撃を受けました。
彼女は言いました。
「美味しいトルティーヤには、美味しいマサ(とうもろこしの粉)がいるの」
「日本にはないから、メキシコから持ってきたの」
「トルティーヤを作るプレス機もね」
僕はそこで知ったのです。タコスのハートが、とうもろこしにあることを。
それから僕にとってタコスは、ただの食べ物ではなくなりました。一緒に友人や仲間と食べることができ、絆を深められる特別な体験として感じられるようになりました。
やがてふたりは別れてしまいました。もう彼女に会うことは、きっとないでしょう。
でも、先日。トルティーヤウォーマーについての記事を書くために、いろいろと調べていたとき、南米の人々にとって、「温かいトルティーヤを出すこと」がとても大切なおもてなしだと知りました。
あの日、彼女が出してくれた、ほかほかのタコス。それは、きっと彼女なりの、心からのもてなしだったんだと思います。
そのことに気づいたとき、ずっと時間がたった今になって、彼女の気持ちが、じんわりと胸に染みて、うれしくなりました。
もしこの先、 僕たちの小さなタコスの活動が日本で広がって、「タコスのハートは温かいトルティーヤ」と広まったとしたら、それは、彼女のおもてなしが、生き続けているということなのかもしれません。