オトウトのタコス史その①タコス(というかメキシコ)と出会った大学時代の話

オトウトのタコス史#01タコス(というかメキシコ)と 出会った大学時代の話

どうも改めて、こんにちは。スーパートモノファミリーオトウトです。ここでは、オトウトがいかにタコス好きになったか?その個人史を紹介していきます。

僕がまだ20歳前後だった大学時代の話です。今になって思い返すと、実際にあのときタコスをちゃんと食べたのかどうかさえ、記憶は曖昧です。でも、あの頃の僕にとって「メキシカン」という言葉には、どこか新しい世界への扉のような、そんな響きがありました。

タコス、テキーラ、コロナビール、トルティーヤチップス。そうしたメキシカンなモノや響きに自然と惹かれて、少しずつ触れ始めたのが大学時代でした。なぜそんなふうにメキシコ的なものに惹かれたのか。それは、ある先生との出会いがきっかけでした。

僕が学んでいたのは英米文学。中でもアメリカ文学を専攻していて、卒論ゼミの指導教授が、越川芳明先生という方でした。先生はもともと現代アメリカ文学の翻訳者・研究者として知られる方ですが、ある時期から研究対象がアメリカとメキシコの国境地帯へと移り、いわゆる「ボーダー文化論」の第一人者としてエッジの効いた研究をされていました。

越川先生の著作

一方で、当時の僕はというと、はっきり言って文学にも社会にも深い理解なんて全くない、思い込みが強くて視野が狭い、よくいるサブカル大学生でした。でも、そんな自分でも、越川先生が語るその世界観――自由で、ちょっと危険で、何よりも楽しそうなその姿には、自然と惹きつけられていきました。友人が入ったのもあり、気づけば僕もそのゼミに入っていました。

先生は、田舎から出てきたばかりの僕にとって、まさに“自由”そのものを体現するような存在でした。僕がアメリカ文学に興味を持った理由も、今思えばいかにも田舎者らしい動機で、「リベラルで自由で、何か自分のいる場所よりもイケてる世界なんじゃないか」という憧れから。でも、越川先生はそのさらに先を行っていた。もっとエッジで、もっとかっこいい世界を見ている大人だったんです。

ゼミでは、先生の著書である『トウガラシのちいさな旅: ボーダー文化論』や『ギターを抱いた渡り鳥: チカーノ詩礼賛』などを通じて、アメリカとメキシコの国境地帯こそが“現代世界の縮図”であるという話を聞きました。そして今思えば、先生のその視点そのものが、自分が世界を見るときの視点のひとつとして、深く影響を与えていたのだと思います。

授業だけじゃありません。ゼミのメンバーで神保町にあるメキシカンのお店に行き、テキーラやコロナビールを飲みながら、先生の南米での旅の話や体験談を聞くこともありました。それはもう、最高でした。

正直、当時の僕は先生が語ってくれたことの“本質”は2〜3割しか理解できていなかったと思います。でも、その「分かっていなさ」すら、当時の僕には魅力的に映っていました。

メキシコや南米の文化に漂う熱気、素直で情熱的なリズムやダンス。どこか懐かしく、それでいて自分の知らない“新しい匂い”がする世界。現代の問題を抱えた“闇”の部分も含めて、すべてに惹かれました。僕はそのとき、「自分の知らない世界がここにあるんだ」と思いました。

僕が本格的にタコスを好きになるのは、まだもう少し先の話。でも、大学時代に出会ったこの経験が、今でも自分の心の奥に残っている“メキシコや南米文化への特別な予感”のはじまりだったことは、間違いありません。

越川先生が引退される時にいただいた、メキシコの画家フリーダ・カーロの画集
越川先生が引退される時にいただいた、メキシコの画家フリーダ・カーロの画集

フリーダ・カーロの絵を見かけたフィリピンのタコス屋の記事はこちら

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この記事を書いた人

タコス好き姉弟の弟。
親友の元婚約者がメキシコ人だったり、大学の恩師がメキシコで研究を行っていたりと日常でタコス触れる環境があったことで、タコス好きに。

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